てぃーだブログ › すぎすぎ屋 › 見て来たよかったアレコレ › 琉球芸能ファンタジー「青い海の人魚」見てきました

2023年12月24日

琉球芸能ファンタジー「青い海の人魚」見てきました

クリスマスイブに琉球芸能ファンタジー「青い海の人魚」公演、見てきました。
ネタバレになる部分もあるので、ネタバレNGという方はこの感想は読まないでね。

タイトルに「人魚」とあるので勘のいいかたはすぐにアンデルセンの「人魚姫」を思い浮かべるのではないでしょうか。
「人魚姫」は誰でも知っているお話だと思いますがおさらい。
人魚の王の6番目の娘である人魚姫。
15歳になると海の上へと昇ることが許されます。
15歳になった人魚姫も海の上の世界を見に昇っていきます。
海には一隻の船があり、そこにいた人間の美しい王子に一目惚れしてしまいます。
嵐で難破した船から王子を助け出した人魚姫。
どうしても王子の愛を得たくて、美しい声と引き換えに人間の足を手に入れようと魔女を訪ねます。
しかし、そこには「王子の愛を得られなければ、海の泡になってしまう」という条件がついています。
それでも王子への想いを捨てられない人魚姫は美しい声と引き換えに足を手に入れ人間の世界へと向かいます。
人間の世界で王子と巡り合い大切にされますが、王子は別の女性と結婚することになってしまいます。
人魚姫は、王子に愛されることなく死んでしまうという悲しい物語です。

人魚や海の中の世界を沖縄の芸能でどのように表現するのかと興味がありましたが、ドゥジン・カカンや扇舞で楽しく表現していました。
また棒で陸と海などの空間を表現しているのも興味深かったです。
見立てというのでしょうか。
1本の棒に役割を与えることで、いろんな表現が可能になるんですね。

さて。「青い海の人魚」の物語です。
「青い海の人魚」も物語の流れは原作と同じ。
もしかしたらハッピーエンドになるのでは?と淡い期待をしていましたが、ラストで人魚姫は海の泡になってしまいます。
人魚姫の想いが報われない悲しさは、王子と巡り合い楽しく過ごした部分を打ち組み踊りで表現したことでさらに増幅したように感じました。
「加那ヨー天川」をイメージさせる2人の踊りは、言葉はなくとも人魚姫と王子は心が通じ合っていると伝えています。
だからこそ、王子を助けたのが自分であると気づいてもらえず、王子が別の女性と結婚することに人魚姫の絶望と悲壮感は大きくなるのです。
王子もまた美しい姫を娶い幸せだったかといえば、そうではなかったかもしれないという事がラストで示されます。
ここは富田流解釈が光った所。
「自分を助けたのは別の女性だったようだ。だが、それに気づかなかったことにしよう」と思い出の真珠を海に捨てるシーンは人魚姫の想いが伝わらなかったと同じくらい悲しい。なぜか会場からは笑いが出ましたが。(王子の悲しみを表現するつもりだったら役者の力不足が残念)
「自分も助けられた。だから今度は自分が助ける番だ」と人間になり言葉を失った人魚姫を助けた王子は大変優しい人物だったのだろうと思います。
人魚姫こそが探している女性だとは気づかなかったけれど。

今回の舞台で気づいたことは、おとぎ話の裏側というのでしょうか。
おとぎ話って子供にも理解できるようにわかりやすい言葉で表現されています。
細かく描写されないことも多い。
そんなおとぎ話の削ぎ落とされた言葉の裏に、こういう意味が含まれているのではというのを富田さんは見せてくれたように思います。

ここからは直接舞台とは関係ない話。
脚本・演出の富田めぐみさんによると、声を失った人魚姫の人生が沖縄の現状と重なり、この舞台が生まれたそうです。
さて。沖縄の声は?
ちょうど12月20日に辺野古代替基地の代執行訴訟に県は敗訴しました。
沖縄の声を聞こうと耳を傾け、沖縄の心に寄り添ってくれる存在はいるのでしょうか。
人魚姫を失った後に気がついた王子のようになるのでしょうか。
寂しさとやるせなさを感じながらクリスマスのチキンを父母と囲んだ2023年の年末でした。


琉球芸能ファンタジー「青い海の人魚」見てきました


同じカテゴリー(見て来たよかったアレコレ)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。