エッセイ「51年目を考えると」

ぱな87

2023年05月15日 21:40

2週間に1度とはいきませんが、今年は駄文であろうと、不定期であろうとエッセイぽいものを書きます。
まだ上手く消化できていませんが、本日、5月15日。沖縄が本土に復帰した日に感じていることです。

「51年目を考えると」

 この4月から私がナレーターとして参加しているテレビ番組「ウチナー紀聞」で新シリーズがはじまった。ディレクターから連絡が来た時には、ウチナー紀聞が始まって20年以上経過しているのに新シリーズができるとはと驚いたが、テーマを聞いて納得した。テーマは「うまんちゅの半世紀」。沖縄は去年、日本に復帰し50年が過ぎた。その50年を振り返り、未来へ視線を向けようというものだ。新シリーズに私がどれほど関われるかわからないが、私も関心があるテーマなのでナレーターに指名してくれたことに心から感謝した。今後の放送に注目して欲しい。
 私が歩いてきた50年を振り返ってみる。私は1970年生まれ。沖縄が日本に復帰する2年前……アメリカ世に生まれた。復帰の年は2歳だったので当然記憶にはない。子供の頃、ウチにアメリカドルがあったので両親はアメリカ旅行に行ったのだと思っていた。小学2年の時に730……道路交通法がこれまでのアメリカのものから日本のものへと変更となった。大人たちは大騒ぎだったが、騒ぐ意味がよくわからなかった。学校の調べ学習の際に、自分の母子手帳が琉球政府から発行されているものだと気づいた。3つ下の弟は違う。こういったことから、昔沖縄で戦争があり、その結果日本から切り離されアメリカの統治下にあったとぼんやりと知った。
 なんとなくまだアメリカ世が残る時代に生まれ育ったが、沖縄戦や戦後の復興、そして日本本土復帰というものは遠い昔の話だと思っていた。今以上に戦争の傷跡はくっきりしていただろうし、父母や学校の先生から戦争体験を聞く機会もあったが、自分と結びつけられなかった。(単に私がぼんやりしていたのかもしれない)大人になって振り返った時に、答え合わせのように一つ一つが結ばれると、自分が育った時代が沖縄の大きな転換期であったとようやく理解できた。そして沖縄戦や復興は割と最近のこととわかり愕然とする。
 先日、仕事の関係で海軍司令部壕へと行ってきた。那覇市と豊見城市の間にある海軍司令部壕は、太平洋戦争末期の1944年8月10日に着工。ツルハシや鍬で、約450メートルを手掘りし、5ヶ月で完成させたという。壕の壁にはツルハシの跡が今もくっきりと残っている。真夏の沖縄での作業。狂気を感じる。
 海軍司令部というと、大田實司令官の「沖縄県民斯く戦えり」が有名だ。アメリカ軍の激しい攻撃にいよいよ後がなくなった1945年6月6日。自決を前に多田海軍次官宛に打った電文である。沖縄県民が老若男女問わず、懸命に戦ったことを訴え、「後世特別のご高配を」と結んでいる。あの戦争の中で、このように県民に心を寄せた人がいたのかと思うと同時に、戦争に住民を巻き込んだ、また利己的な理由で戦争をしてきた事実を看過してはならないと思ったり……複雑な気持ちになった。
 さて。数年前にまたラジオの早朝番組を担当することになり、ニュースを読んでいる。ニュースの項目がカーキ色になる割合が日に日に高くなっているように思う。ロシアとウクライナの紛争。北朝鮮はミサイルで挑発してくるし、中国船の侵犯も毎日のこと。中国と台湾もデリケートな状況だ。県内では辺野古の基地建設が強行、自衛隊の島嶼部への展開が推し進められ、沖縄県民を分断する。アメリカ軍基地は居座り続け退く気配はないし、日本政府も退いてもらいたいと思っているようには思えない。地位協定の改定よりも、改憲と軍備拡大に力を注いでいる。大田司令官の願った「後世特別のご高配」はどのような沖縄を想定していたか知る術はないが、戦後77年、日本へ復帰して50年が過ぎてもご高配を実感できない沖縄である。



*写真は先日、海軍司令部壕へ行った時のもの。
 慰霊祭は6月13日に行われているそうです。

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