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2022年05月08日

エッセイ「舞台『島口説』」

舞台「島口説」

 午後7時前、迷路のような栄町市場。いつもなら一杯ひっかける客で賑わう時間帯だろうが、コロナ禍では開いている飲み屋もまばらでなんとなく寂しい感じがする。目的地がわからずうろうろしていたら男性から「ひめゆりピースホールですか?」と声をかけられた。私のような迷子をキャッチするために待機しているスタッフらしい。地図アプリにはとうに到着を告げられていたので助かった。路地を2回ほど折れて到着した会場は受付する観客で静かな興奮に包まれていた。
 「島口説」は沖縄の本土復帰から7年が経った1979年に作られ、故北島角子さんの一人芝居で上演された舞台だ。20代の時に見たと思うが、ウチナーグチが分からず雰囲気で捉えていたのと、北島さんの演技に圧倒されたという印象しか残っていないので、今回がほぼ初めての鑑賞といっていいかもしれない。おまけに一人芝居だった北島角子バージョンではなく、城間やよい・知花小百合の二人芝居バージョンだ。また今年は沖縄が日本に復帰して50年という節目の年だけに、舞台が何を訴え、私が何を感じるのか……期待と少しの緊張があった。
 舞台はバスガイドが復帰間もない沖縄を案内するところから始まった。「ああ、あの風景、見たことあるような」とか「懐かしいな」と思っているうちに、沖縄市にあるスミ子の店に到着。絣にウチナーカンプー姿のスミ子とその後輩がテンポ良く会場を沸かせ、沖縄民謡を演奏する。「艦砲の食ぇーぬくさー」を明るく歌い「私も艦砲の食い残しですよ」と笑うスミ子に戦争の暗い影は見えない。2人の女性が民謡酒場のセンターを巡ってコミカルにやり取りするうちにスミ子の戦争体験へと引き込まれていった。
 北島さんが一人芝居で観せていた舞台を2人でどのように演じるのだろうかと思っていたが、2人の女性で演じることによって舞台で語られる物語が特定の「誰か」の体験ではなく、あの時代を生きた人々の共通体験である事が表現されていると感じた。この舞台の脚本が書かれたのは復帰後。戦後30数年が経過している。きっと復興が進み、表立って戦争の傷跡を感じる事は少なくなってきつつあっただろう。街の様子と同じように、明るく振る舞っている沖縄の人々は、スミ子のように内側に戦争の痛みを抱えていたに違いない。スミ子の語りを聞いた後に歌われる「艦砲の食ぇーぬくさー」は悲しい響きを帯びていた。
 私が生まれたのは1970年。復帰の2年前だ。復帰の時は2歳だが、もちろんその時の記憶はない。古いアルバムや、大人たちの話からぼんやりと歴史を知るのみ。沖縄戦も遠くなり、基地の島であることが当然のような顔をしているが、真の悲しみや苦しみは普段は表に出てこない。心の柔らかい部分が壊れないよう奥にしまってあるのと同じように。沖縄の心の柔らかい部分を忘れるなよ、見落とすなよと舞台が語りかけているような気がした。
 沖縄公演は満員御礼ということだが、5月13日から東京公演が予定されている。ぜひ鑑賞してほしい。


ACO沖縄公式サイト
舞台「島口説」の情報はこちらから

https://www.acookinawa.com

エッセイ「舞台『島口説』」



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この記事へのコメント
杉子さん、エッセイご苦労様です。ところで
他局の話ですが、5月11日の番組でTwitterでも言っていましたが山田真理子さんが結婚を発表したそうですよ。
Posted by 匿名希望 at 2022年05月11日 14:45
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