エッセイ「熊本にて」

ぱな87

2023年04月30日 14:46

熊本にて

 先日、3泊4日の日程で熊本出張だった。
 出張!
 うーん。なんかできる人っぽい響きである。会社勤めの方にとっては珍しくもないだろうが、沖縄在住のナレーターにとっては県外で仕事というのはそうそうない。2001年以来だろうか。
 2001年といえば、アメリカ同時多発テロだ。その際、沖縄の観光は落ち込んだ。米軍基地が多い沖縄はテロの標的になるかもしれないという理由で、修学旅行をはじめとする多くの沖縄旅行のキャンセルが相次いだ。そんな中、安心安全な沖縄観光をアピールしようと「だいじょうぶさあ沖縄キャンペーン」で大阪に行ったのである。
 「米軍基地は抑止力になるから必要っていいながら、事が起こったらコレかよ」と苦々しい思いを抱えながら大阪の寒空の下、司会していた思い出である。
 出張の経緯は苦々しいが、大阪の方は優しかった。ちょうどStarbucks Coffeeが大阪に展開を始めた頃で、大阪のイベンターが「これ、今大阪で人気のドリンクなんですよ」とカフェラテなどを差し入れしてくれた。梅田で迷子になってしまった私を、わざわざ駅の構内まで入って案内してくれた方もいた。あのお兄さんは元気だろうか。観光では出会えない人たちとの出会いで、その街が見えてくるように感じた。
 それはさておき、熊本出張である。今回の熊本は一昨年から参加しているビジネス団体の全国大会参加が目的だ。2016年に起きた熊本地震の復興を後押ししようと、2019年度に熊本大会を予定していたが、コロナ禍で中止。流行が落ち着きを見せた所での実施となった。私のような形のない、それも一般的でないモノを商品としている個人事業主が参加する意味はあるのかと思ったのだが、どんな仕事であろうと井の中の蛙ではいけないなと思い、思い切って参加することにした。
 全国大会の中で印象的だったのは、新宿御苑近くで日本初のガトーショコラ専門店ケンズカフェを営んでいる氏家健治さんの講演だった。氏家さんによると、今日閉めるか、明日閉めるかというくらい経営が逼迫した時期があったそうだ。その頃はカフェとして食事やスイーツを提供していた。そこからガトーショコラ1本に絞っての経営に転換。大きな決断である。
 「なんでもありマス、できマス」の全ジャンル対応のほうがビジネスチャンスが多いと思っていたが、「何が専門なのかわからない」と印象が薄くなってしまうデメリットもある。彼は他と同じ事をやめ、「日本で初のガトーショコラ専門店」にすることで強い印象を与え、消費者の心を掴んだ。現在は1本3000円のガトーショコラ専門店としてフランチャイズ展開するまでになっている。もちろんそれは氏家さんのガトーショコラの美味しさがあっての話である。ちなみに沖縄にもケンズカフェのフランチャイズ店がある。国際通り安里三叉路の所。今度行ってみよう。
 全国にフランチャイズ展開する程のお店が経営困難な時期があったとは驚きだが、そこからどのようにして蘇ったかを話してくれたのも驚きである。氏家さんのお話からは、自分がお客さんに提供できる価値のあるものは何かと考えたときに、自信を持てる商品を提供すること、お客さんとの約束は何かを見誤るなという事を学んだような気がする。
 では私の場合、自信を持って提供できる商品とは何か?
 やっぱりナレーションですねえ。
 これに関しては専門職として学び、積んできた実績があると自負するところがある。それを納得できる価格で販売するのも価値なのだ。これまでは、自分の仕事と見合わない価格を提示されても「本土と比べて沖縄の企業には体力がないから」と自分を納得させてきたが、これは自分の価値を自分で下げていたと気づいた。かといっていきなりナレーション価格を東京並みにし、「定価を守ってくれないとお断り」というようなことはしないが、「これを定価としてやっています」と自分の価値を示すのは重要だ。自分1人であれば「仕方ない」で終わらせていたかもしれないが、今はナレーターチームで仕事をしている。チームの仕事の質と価値を上げるのも私の役割なわけだからやはり「仕方ない」ではいけないと反省した次第だ。改めて沖縄で仕事をする上で、何を目指して行くのか明確にしなくてはなるまい。吹けば飛ぶよな個人事業主だが、仕事をする上で今更ながら、経営理念やビジョンというものを考えているところである。
 ところで。熊本は実に30数年ぶりだった。高校時代に九州高校放送コンテストで行ったのだが、宿と会場の往復で終わった。当たり前だが、決勝まで残るという事は最後の最後まで自由時間はないのである。夜、宿泊先を抜け出して熊本ラーメンを食べに行く仲間を横目に部屋で1人練習していた思い出しかない。その甲斐あって今の仕事があるのだから恨み言は言うまい。そういう事情があったので、全国大会前日のオプショナルツアーをとても楽しみにしていた。食、アクティビティ、歴史の3つのテーマの中から、私は歴史……熊本城ツアーを選んだ。熊本城は1607年、加藤清正がその当時の最新技術を集めて作った城で、2016年の熊本地震による復興真っ只中だ。首里城が焼失した際に、熊本からも沢山の応援があったと聞く。だからこそ現在を見てみたいと思った。
 「前震があるなんてあの時初めて知りましたよ」とは、熊本城ツアーをサポートしてくれた熊本の経済団体メンバーUさん。震度7の地震が2回も襲ってきたらそれは恐怖だろう。広々と整った街中を歩いているだけではわからなかったが、熊本城ではまだ地震の爪痕が生々しい。
 東京ドームの21個分の敷地という熊本城はとにかく広く、でかい。崩壊の恐れがある石垣や建造物を空中回廊から眺める形で、見せる復興が行われているが完全復旧は2052年だとか。首里城は、2026年には再建工事終了予定。建物の焼失と、地震によって全体が被害を受けた違いもある。
 空中回廊から、城を空に押し上げるように築かれた石垣を見る。かなり距離があるので実感が薄いが、きっと石垣の石1つが畳一畳くらいはあるのではないだろうか。よく見ると小さくナンバリングされている。石垣を組み直すためのものだ。
「難易度最高のジグソーパズルって言われてますよ」
 ガイドさんは笑うが、再建まで何十年もかかるというのも納得。根気のいる作業に気が遠くなる。同時に不思議な気分にもなった。年号でしか認識していなかった歴史が目の前にあるという不思議。その時代時代の人たちが大切にしてきたからこそ、今に受け継がれ、過去と繋がることができると改めて感じた。
 よく「歴史って学ぶ価値があるの?」という声を聞いたりするが、単に年号を覚えるだけなら価値はないだろう。当時の人々の価値観や、行動を学び、現在と照らし合わせて初めて価値が出てくるというものだろう。熊本城はとにかく広く、1日ではとてもとても全てを見ることはできなかったが、歴史を過去のものとして捉えるのではなく、今に続いている礎であると再認識できたのは有意義だった。また出張はないものか……などど考えている。




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