エッセイ『平和へ至る道』

ぱな87

2023年03月09日 16:14

 ここ数年、定期的に書こうと思っていたのですが、ちょっと色々あって書きたいテーマや気持ちが湧き上がってきませんでした。
 毎日何かしら感じることはあるのですが、そこまで至らないというか。伝えたい気持ちはあるけれども、精神的に向き合うことができない状況でした。しかし、環境が変わりつつあり、少し心が戻ってきそうです。
 あ、こう書くとなんかまた鬱が再発したみたいに感じますけど、そうではないです。私に持てる荷物には限りがあるということですね。
 ということで、これから少しずつ書いていきます。駄文だろうと書かないと。ご容赦ください。



エッセイ『平和へ至る道は』

 2022年は沖縄が日本に復帰して50年という節目の年だった。沖縄復帰50年周年記念式典をはじめ様々な復帰関連事業が展開され、「沖縄と日本」を考える機会になった。少なくとも私は。

 現在ラジオ沖縄の朝の情報番組スプラッシュの中で、「見て来たよかったアート&ステージ」というコーナーを担当している。不定期コーナーだが、展覧会や舞台、コンサートなどに携わる方々の声を紹介する事でその催事に関心を持ってもらい、新規を増やしたいという思いからだ。22年度はACO沖縄の復帰50年企画を追いかけた年でもあった。このエッセイを書いている3月9日時点で50年企画をあと1作残してはいるが、様々な視点で復帰を切り取った舞台が展開した。
 復帰企画7作の第1弾となったのは「島口説」だった。この舞台は故・北島角子さんの一人芝居で知られているが、北島さん亡き後、やよい&いずみに引き継がれ、現在は城間やよい・知花小百合の二人芝居バージョンで上演されている。民謡酒場のネーネーが面白おかしく観光客に沖縄を紹介していくが、いつの間にか「あの戦争」の話になってゆく。この舞台が制作されたのは復帰から7年経った1979年。道路や建物はどんどん新しいものができ、表面的には戦争の暗い影は感じられない時代。だが、心のうちには色々と抱えていたことだろう。それを実によく表現していた。これは昨年5月に感想をまとめているので詳しくはそちらで。
2022/05/08

 内藤裕子さん書き下ろしの「カタブイ、1972」は、波平家の生活を通して復帰や戦後沖縄が歩んできた道を表現した。それまで沖縄の復帰についてよくわからなかったという内藤さんだが、脚本を書くにあたり多くの方にインタビューしたそうだ。本土出身の内藤さんを通して表現された沖縄の復帰というのは意義深いものがあると感じる。
 そして第6弾となった「沖縄燦々」こちらの初演は10年前とのことだが、上演の度にバージョンアップしているようだ。舞台狭しと展開する古き沖縄の暮らし。あんなに命を精一杯燃やして生きているだろうかと我が身を振り返る。今の沖縄に暮らす人々は果たしてみんなキラキラと生きているだろうかと舞台が問いかける。
 県立博物館・美術館でも多くの復帰50年企画があった。企画の段階で企画展のタイトルを「復帰50周年記念」とするかどうかという議論があったそうだ。「周年」「記念」という言葉にはどこかそれを祝う意味合いが含まれているように感じ、沖縄のこれまでや今を考えるとふさわしくないのではないかとなったという。
 いずれも文化は社会を反映するというのがよくわかる内容だったと思う。沖縄戦や戦後の復興を直接知る世代が段々と減る中で、復帰50年の企画を通して沖縄戦を知らない世代が、沖縄と日本、アメリカの関わりを考える時間となった。

 さて。戦後70年余り経過しても、日本に復帰して50年が経っても、依然日本における米軍基地の7割が集中する沖縄では、日常的に戦争と平和を考える環境にある。そんな沖縄を多くの修学旅行生が訪れる。3月8日に県内両紙で京都の高校が修学旅行時に米軍基地内にあるクバサキハイスクールとの交流の中で射撃訓練を体験したというニュースが流れた。これに衝撃を覚えたのは私だけだろうか。新聞の取材に対し京都市教育委員会は「体験は意義があった」と答えたようだ。そう。体験はしないよりしたほうがいいに決まっているが……果たしてこれはどうだろうかと首を傾げてしまう。沖縄への修学旅行のポイントは第二次世界大戦末期、日本で唯一の地上戦の場所となった沖縄を知る事で戦争とは何か、平和とは何かを考えようという部分にあると思う。米軍基地はどのようなものなのか知りたいというのも学習テーマとしては悪くはない。だが、治外法権の中で行われている「予備役将校訓練課程」を「見学」ではなく「体験」したことに問題はなかっただろうか。
 この報道に対して「サバゲーだってやってるじゃないか」「体験することで安全保障について考えられる」「また沖縄が大騒ぎしている」という声も聞こえてきた。安全性に配慮したゲームと実際に人間を殺傷する訓練を同列で語る事自体おかしな事だと思うし、安全保障の狭間でずっと悶えている沖縄が見えていないのかと絶望する。二度と戦争を繰り返してはいけないと身を切る思いで訴えてきた戦争体験者(沖縄に限らず)の気持ち、基地被害に苦しむ人々を思うとやりきれない。

 両親が経験した沖縄戦や取材で知った沖縄戦を少しでも残し伝えようと、2015年から書くことに挑戦している。それまでもどうにかしなくてはと思っていたが、どうしていいかわからずにいた。証言集を自負出版する事も考えたが、楽しいことが溢れている時代に誰が積極的に本を手に取ってくれるだろうかと考えた時に、違う形で届けなくてはと思い書きはじめた。小さな賞を得た拙作が漫画やラジオドラマになった時に有効な方法だと確信した。両親が元気なうちに少しでも多く形にすべく今も書き続けている。
 私はデモ行進に参加したことはないし、シュプレッヒコールもあげないけれども、私なりのやり方で平和を問い続ける。多分、一人一人それぞれがイメージする平和があるだろう。そこに至る道は千差万別。何が正解か私はわからない。ただ一つはっきりしていることは、一方の正義を振りかざし他者を暴力で捩じ伏せる方法で平和はやってこないということだ。京都の高校の「体験」がそれを痛感するものであった事を祈る。


写真は基地に接収されて無くなった大工廻あたりで撮ったものです。

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