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2022年07月02日

ドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』

ドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』

「休憩があります」
 桜坂劇場の窓口で映画マスター(私が勝手にそう思っている)の下地さんにそう告げられた。
「えっ? 何分の映画?」
「250分」
「えー?」
 というやり取りがあったのだが、250分があっという間だった。
 私がこの映画に関心を持ったのは、沖縄のラジオに関わるようになった年に「部落」という言葉にドキッとした経験からだ。沖縄では部落という言葉を「集落・村」という意味合いで使う。「私は○○部落出身」とか「○○部落では……」という風に取材をしているとよく出てくる。その度に内心ハラハラしている。部落という言葉が差別用語として扱われているから。しかし、取材対象が発した言葉をこちらが勝手に変更することは許されないし、集落や村という意味合いで使っている事は明白なので、インタビューはそのまま流す。ただし、アナウンサーやパーソナリティーは集落という言葉を使う。こういうことがきっかけで、日本における差別を知ることになった。それまでも教科書や小説などでなんとなく知ってはいたが、自分自身があからさまに差別されるような事はなかったし、「平安時代とかの話でしょう」と思っていたのであまり意識していなかった。
 ドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』では、人権問題・差別問題に取り組む4人の座談会から始まる。カメラがあるとはいえ、顔見知りで、かつ場所もメンバーのお宅らしく、リラックスした中でお互いの出自や差別を意識したきっかけなどを語り始める。その中で「差別部落出身と伝えたらパートナーの両親に反対された」「付き合えないと言われ別れることになった」などの話が出てきた。現代日本で……それも21世紀にもなってもまだそのような実態があるのかと驚く。その後も映画は研究者からのレクチャー、そして古文書などを紐解きながら部落差別とは何かを考えてゆく。
 印象に残ったのが「境界」という言葉だ。
「ここから先は部落で、あそこはそうではない」
「あの人は部落出身で、私はそうではない」
 その境界は差別する方だけでなく、差別される方にもある。差別される方は、差別されることでその境界を否応なく意識させられることになる。差別される方は差別され、傷ついた事で「自分のルーツは差別部落にある」と本来自身のアイデンティティになるべき所が揺らいでしまうのが悲しい。
 自民党の故・野中広務さんと辛淑玉さんの著書『差別と日本人』で、野中さんが可愛がっていた後輩が陰で「あの人は部落出身だ」と言っていたと知り、悔しさで数日眠れなかったと書いていた。信頼していた人物が心の奥底では自分を蔑み、陰でそのように言っていたのを知ったら、怒り、悲しみ、絶望……いろんな感情が溢れてくるだろう。それが政治家としての原点だったとあった。在職中に差別撤廃に奔走したようだが未だに部落差別は無くならず、野中さんが感じた憤りを抱えて生きている人たちがいる。
 沖縄もまた他人事ではない。1872年、琉球処分と呼ばれる廃藩置県が行われ、琉球という国はなくなり日本の一地域、沖縄県となった。新しく日本人となった私たちの祖先は、日本本土とは違う歴史、文化、顔立ちという事で随分苦労したようだ。母が若かりしころ、東京では「琉球人お断り」という賃貸物件は多かったという。「なるべく喋るな」とアドバイスもあったとか。映画の中で紹介されていた『破戒』のようだ。ドラマ「ちゅらさん」や、沖縄出身アーティストの活躍で、沖縄に対する偏見や差別はなくなり、本土と肩を並べたように感じるが、「土人発言」などを見ると果たしてどうだろうかと首を傾げたくなる。
 差別と対抗するにはどうしたらいいのだろう。傷ついても傷ついても声を上げ続ける事だとは思うが、そこにどこまで耐えられるのだろう。差別される側の精神的ダメージが大きく、どうも分が悪い。そう、沖縄の人間もずっと分が悪いと思っている。だが、耐え続け、声を上げ続けるしかないのだろう。「そんな境界なんてないよ」という人を増やすために。

ドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』


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