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2024年04月06日

映画「オッペンハイマー」見てきました

映画「オッペンハイマー」見てきました

 映画「オッペンハイマー」を公開初日に見てきました。
 アカデミー賞で最多の13部門、ゴールデングローブ賞も最多の5部門にノミネートされたんですね。細部に気合が感じられました。鑑賞してから1週間ほど経ちましたが、またちゃんと消化できずに色々考えています。原爆の開発がどのように行われたのか、原爆の父と言われるオッペンハイマー博士がどのような人だったのか知ると同時に、現在に続く様々な問題を示唆する内容だったと思う。
 オッペンハイマーとは、原爆を生み出した物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーのこと。映画は物理学者として歩み始めた青年時代から始まる。思うように実験もできず大学では落ちこぼれ扱いで、それ故に深く悩み、精神的にも追い詰められている。そんな危うい状態の若き研究者が、後に世界を揺るがす原爆を作るとは思えない。しかし、物理に対する鋭い視点は優れた研究者の片鱗をのぞかせている。
 彼が生きたのは、第一次世界大戦が終わり、世界恐慌の時代。ドイツではナチスの台頭。共産主義のソ連の脅威。そして日本の真珠湾攻撃による第二次世界大戦開戦と激動の時代だ。そんな中、軍から「マンハッタン計画」への参加を促される。秘密裏に研究するために砂漠の真ん中に街を作ったというから驚きである。それだけでも日本が到底太刀打ちできない国だったと感じる。
 十分な研究環境を与えられる一方、軍部からのプレッシャーは凄まじい。そんな中でも研究者たちは議論を重ねる。彼らは大量破壊兵器の開発に従事しているのだが、それよりも研究できること……自分達の理論が正しいと証明することへの情熱が優っているように感じる。「TNTの何倍の威力がある」と話し合うシーンもあるのだが、そこには爆弾が殺すかもしれない人間のイメージは薄い。大統領に呼び出され、いよいよ新型爆弾を投下する具体的な話し合いの席で「敵国とはいえ、この爆弾が多くの人間を殺すのだ」と実感し動揺する。
 ソ連が新型爆弾の実験に成功したというニュースがもたらされ、待ったなしの中で行われる最終実験シーンは圧巻。私ですら、これまでの時間、資金、研究者としての面目など考えただけでも緊張で吐き気がしてきた。実験は成功し、関わった人々は歓喜するが、2機の原子力爆弾を乗せたトラックを見送るオッペンハイマーの表情は暗く沈んでいる。
 「やっぱりアメリカは原爆の投下を正しいと思っている」と映画を見た方から反発の声が結構あるようだ。確かに原爆が投下され、成功の報に喜ぶ研究者たちや、オッペンハイマーとトルーマン大統領のやり取りだけ見るとそのように感じる。「戦争を終わらせるために必要だった」と今も多くのアメリカ人がそう思っていても仕方がない。あの戦争で多くのアメリカ人も命を落としたのだから。
 しかし、映画は学問というものは人を殺すため、国の強さを示すために使われるものではないと言っているように思う。作中のオッペンハイマーとアインシュタインとのやり取りはそう感じさせる。
 映画を映画として鑑賞して終わるのではなく、私たちは今を考えなくてはいけない。第二次世界大戦の終結から今年で79年になる。未だに居座る在日米軍に、日米安保条約。そして日米地位協定。沖縄では毎日住宅地の上を米軍の戦闘機が爆音で飛び回る。着々と進む自衛隊の配備に、ついに防衛装備品の輸出も始まる。日本が再び戦争ができる国に変わりつつある中、この映画が訴える尊重されるべきものは何か、越えてはいけない一線は何かを受け止め、自分の頭で考える必要がある。

映画「オッペンハイマー」見てきました

*ピューリッアー賞を受賞した『オッペンハイマー』を読んでいないので、解釈が間違っていたらごめんなさいですね・・・


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